2026年8月19日、日本経済新聞は、国税庁が非上場株式(取引相場のない株式)の相続税評価について新ルール案をまとめたと報じました。報道の要点は次のとおりです。
約60年ぶりの抜本見直しであり、上場株価への「比準」をやめて、その会社自身の純資産と収益力で評価する方向への転換です。収益力(インカムアプローチ)を課税上の株式評価に正面から取り入れる点が最大の特徴です。ただし現時点では「案」の段階であり、算定構造の詳細は報道ベースの情報です。
この新ルール案は、国税庁「取引相場のない株式の評価に関する有識者会議」(2026年4月設置)の第5回会合(2026年8月20日開催予定と報道)で示されるとされており、作成日時点で公式資料は未公表です。情報の確定度を3層に分けると次のようになります。
| 区分 | 内容 |
|---|---|
| 公式資料で確認できること | 有識者会議の設置と第1回〜第4回資料の公表(国税庁ホームページ)。その中での「原則的評価方式の一本化」「類似業種比準方式の廃止論」「残余利益モデル(インカムアプローチ)の検討」「純資産価額方式を特定の評価会社用に存置する方向」「資産管理会社は純資産価額方式とする論点」「配当還元方式の見直し論点」「ドイツの簡易収益還元法・旧シュツットガルト方式の参照」。会計検査院の令和5年度決算検査報告による問題指摘。 |
| 報道ベース(公式未確認) | 「直前期末の純資産+今後5年間の収益力(過去5年平均・マイナス含む)×一定の係数」という具体的な算定構造。類似業種比準方式廃止の正式決定。2027年度税制改正大綱への反映と2028年1月以後の相続からの適用開始。 |
| 未確定(今後決まること) | 係数の水準。収益力の具体的な算定方法(非経常損益の調整等)。含み資産や法人税額等相当額控除の扱い。経過措置の有無。贈与への適用開始時期。事業承継税制側の手当て。 |
報道報道から読み取れる新方式の構造は、次のようなイメージです。
これは、企業価値評価の考え方でいえば、純資産(コストアプローチ)を基礎に収益力(インカムアプローチ)を上乗せするハイブリッド型で、理論的には「残余利益モデル」や「純資産+営業権(のれん)」の評価に相当します。現行の財産評価基本通達にも営業権の評価(超過利益金額に複利年金現価率を乗じる方式。評基通165・166)があり、これと同型の発想です。
DCF法(将来キャッシュフローの割引現在価値)は、将来予測と割引率の設定に恣意性が入りやすく、全国一律に適用する課税実務には不向きとされており(有識者会議でも同旨の意見)、新ルール案は将来予測を「過去5年の平均利益」で、割引計算を「一定の係数」で置き換えた、決算書から機械的に計算できる簡便法と位置づけられます。
通達現行の評価体系(財産評価基本通達178〜189-7)と、報道・有識者会議資料から見える新ルール案の方向性を対比します。
| 観点 | 現行制度 | 新ルール案の方向性 |
|---|---|---|
| 評価方式の構成 | 会社規模(評基通178)に応じて使い分け。大会社=類似業種比準方式(評基通180〜184)、中会社=併用方式、小会社=純資産価額方式(評基通185) | 規模区分による使い分けを廃止し、「純資産+収益力×係数」の単一方式へ一本化 |
| 類似業種比準方式 | 上場類似業種の株価に配当・利益・簿価純資産の3要素で比準(ウエイト1:1:1)し、斟酌率(0.7/0.6/0.5)を乗じる | 廃止の方向(上場株価変動の波及、比準の理論的裏付け不足、M&A実務との乖離が理由) |
| 純資産価額方式 | 基本的な評価方式のひとつ(相続税評価額ベース。評価差額に対する法人税額等相当額を控除) | 基本方式としては用いず、資産管理会社など特定の評価会社用の方式として存置する方向 |
| 収益力の反映 | 類似業種比準の一要素(1株当たり利益)として間接的に反映 | 今後5年間の収益力として直接加算。マイナス(赤字)も反映 |
| 少数株主(配当還元方式) | 年配当金額を10%で還元(評基通188-2) | 還元率の水準・対象株主の範囲・従業員持株会の扱いを見直し検討中 |
有識者会議の資料では、類似業種比準価額の中央値が純資産価額の中央値の27.2%(約4分の1)にとどまるという分析が示されています。同じ会社でも適用方式によって評価額が数倍変わるため、会社規模区分を意図的に変える(従業員の転籍や吸収分割で小会社を大会社にする)などの評価額圧縮スキームを誘発してきました。有識者会議資料には、評価額を約100億円・税額を約55億円圧縮した事例を含む8類型のスキームが列挙されています。
非上場会社の約8割が無配当である中で、配当を比準3要素のひとつとする計算式は株式評価の方法として適切に機能していないおそれがあること、配当還元方式の還元率10%が昭和39年の通達制定時の金利水準を前提としたまま改定されていないことを、会計検査院が令和5年度決算検査報告(令和6年11月)で指摘しました。これが今回の見直しの直接の契機です。
判例最高裁令和4年4月19日判決(民集76巻4号411頁。通達評価額と実勢価額の乖離を利用した相続税節税に評価通達6項の適用を認めた判決)の調査官解説では、乖離は本来、評価通達の見直し等によって解消されるべきという考え方が示されました。有識者会議資料もこれを引用し、個別否認への依存ではなく通達改正によって納税者の予測可能性を確保する必要性を掲げています。不動産では、令和6年1月適用のいわゆるマンション通達(居住用の区分所有財産の評価)が同じ発想の先行例です。
条文事業承継税制の特例措置(租税特別措置法70条の7の5以下。納税猶予割合100%・対象株式数無制限)は、適用期限が2027年12月31日までの贈与・相続、特例承継計画の提出期限が2027年9月30日(令和8年度税制改正で延長済み)です。新ルールの適用開始が報道どおり2028年1月以後であれば、特例措置の実行期限の直後に評価額が上昇する会社が多数生じる構図となります。2027年末までに承継を実行するか、事業承継税制の恒久化・拡充とセットの制度設計(有識者会議資料では、評価は時価に忠実に行い、承継への配慮は税制側の特例で行うドイツの制度例を紹介)を待つかが、実務上の最大の判断ポイントになります。